逆境力シリーズ4
逆境を越える「こころの技法」
人生において、苦労や困難、失敗や敗北、挫折や喪失といった
「逆境」に直面することがある。
そんな時、心の中で「人生で起こること、すべて良きこと」と思い定めると、
必ず、道は拓ける。
・人生で起こること、すべて良きこと
それは、逆境を越える「究極の言葉」だと思う。
では、なぜ、この言葉を心に思い定めると、道が拓けるのか?
それは、そう思い定めると、逆境に「正対」する力、
すなわち「正面」から向き合う力が湧いてくるからである。
我々が逆境を越えられないのは、我々の心が、
その逆境に正対できていないからなのだ。
(なぜ、我々は、逆境に「正対」できないのか)
なぜ我々は、逆境に正対できないのか?
それは、逆境に直面した時、「なぜ、こんなことになったのか…」
という過去への後悔、
「これから、どうなってしまうのか…」という未来への不安に、
心のエネルギーの大半を使うからだ。
そのため、目の前の逆境に対して、「どう越えていくか」と
正対して考えられなくなるのだ。
我々は、それほど簡単に「人生で起こること、すべて良きこと」とは思えない。
特に、肉親や最愛の人を亡くした時や、自分が生死の境の病気になった時など、とてもそうは思えない。
そんな時は、次の言葉を心に思い定めるべきだ。
・人生で起こること、すべてに深い意味がある
すなわち、今、自分の人生に起こった出来事が直ちに良きことと思えなくても、
その出来事には「深い意味がある」と思い定める。
その感覚こそが、逆境を越える「こころの技法」を身につけていくための
出発点なのである。
こころの技法とは、「内省を深める言葉」によって「気づき」を促し、
「内省を深める技法」によって「心の在り方」を変えていく、
具体的・実践的な技法のことである。
先に述べた「人生で起こること、すべて良きこと」
「人生で起こること、すべてに深い意味がある」は、
いずれも内省を深めてくれる言葉である。
(「逆境」をどのように受け止めればよいのか)
逆境を越えるためのこころの技法の第1は、「逆境観」を定めることである。
逆境観とは、失敗や挫折といった逆境に直面した時、それをどう受け止めるか、
どう捉えるかという心構えのこと。逆境を糧として成長するには、
この逆境観を定めることが極めて大切だ。
では、逆境観をどのように定めればよいのか?
逆境というものを、肯定的に受け止め、前向きに捉えることである。
自分はこれまでの人生において、どのような時、成長できたか?
この問いを、自らに問うてみると、
それは、決して「安楽だった時」ではないだろう。
ほとんどの場合、「苦しかった時」や「辛かった時」ではないか。
だから、我々は、逆境において、次の言葉を心に刻むべきだろう。
・「逆境」とは、自分の可能性を引き出してくれる素晴らしい
「成長の機会」である
(人生の分かれ道で、真に「運命」を分けるものは何か)
ただ、人生においては、時に生死の境の大事故や大病など、過酷な体験をする。
そんな人生の分かれ道で、真に「運命」を分けるものは何か?
それを教えてくれる、象徴的なエピソードを紹介しよう。
ある男性が米国に出張中、交通事故に遭い、左足を切断した。
本人は「一瞬の事故で、人生を棒に振ってしまった!」と悲嘆の底にあったが、
日本から駆けつけた奥さんは病室に入るなり、こう言った。
「あなた!良かったわね!命は助かった!右足は残ったじゃない!」。
この話は、我々に、大切なことを教えてくれる。
・何が起こったか それが我々の人生を分けるのではない
起こったことをどう「解釈」するか それが我々の人生を分ける
すなわち、人生で起こったことを解釈する力、
「解釈力」 ―― 逆境を肯定的に受け止め、解釈する力が、
人生の分かれ道で、真に運命を分ける。
(何が、出来事の「意味」の解釈を誤らせるのか)
この解釈力を身につけるには、起こった出来事の「意味」を
考える習慣を身につけることである。
その出来事が、なぜ、今、自分に起こったのか。
その出来事が、自分に、何を教えようとしているのか。
その出来事から、自分が、何を学べと言われているのか。
その意味を考えるということだ。
しかし、起こった出来事の意味を正しく解釈するには、
その前に行わなければならないことがある。
心の中の「小さなエゴ」を見つめることだ。
小さなエゴは、誰の中にもある。そして、その小さなエゴは、必ず、
自分の未熟さや欠点を認めることを拒む。
だから、我々は、起こった出来事の意味を考える前に、
まず、自分の心の中で小さなエゴが「私は間違っていない!」
と叫んでいないか、静かに見つめてみる必要がある。
(人間の本当の「強さ」とは何か)
起こった出来事の意味を正しく解釈できるようになるためには、もう1つ、
身につけなければならないものがある。
それは、人間としての「本当の強さ」だ。本当の強さとは、
「引き受け」ができるということである。
引き受けとは、本来、他人に直接の責任があることでも、
自分の責任として引き受け、
それを自分の成長に結びつけようとする心の姿勢のこと。
この引き受けという心の姿勢を身につけると、いかなる出来事が起こっても、
それを自分の成長に結びつけていくことができる。
しかし、引き受けという心の姿勢を身につけるのは難しい。
やはり小さなエゴが、それを妨げるからである。
「自分は悪くない!」「自分は変わりたくない!」
という小さなエゴの声に従っている限り、引き受けはできない。
逆に、成長したいという「大きなエゴ」の声に従うことができる人は、
この引き受けができる。
だから、本当の強さを身につけたいと思うならば、
自分の中のエゴを大きなエゴに育てながら、
この引き受けを、意識的に行っていくべきだろう。
(どうすれば、「静かで賢明な自分」が現れるのか)
昔から、日本では「天の導き」という言葉が語られてきた。
こうした言葉に象徴されるように、
日本人の中には「人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚が、
自然に根付いている。
そして、この感覚を心に抱いた時、我々は、心の軸が定まり、心が強くなり、
起こった出来事を、深いレベルで解釈することができる。
「人生は、大いなる何かに導かれている」という感覚が持てるならば、
不運や不幸と思える出来事が与えられた時には、まず「人生で起こること、
すべてに深い意味がある」と思い定めることができるだろう。
そのことを通じて、その出来事に正対することができる。
そして、正対すると、心の深くから、「静かで賢明な自分」が、
語りかける声が聞こえてくる。
それは、その出来事の意味を語り、解釈を語る、
心の奥深くの「もう1人の自分」の声である。
例えば、耳に痛いことを言う人との出会いにおいても、
最初は「何と不愉快なことを言う、無神経な人だ!」と腹を立て、
心が騒ぐ自分がいても、この出会いに正対できれば、
「自分の未熟さを、この人が、教えてくれようとしているのではないか」
という声が聞こえてくる。
それは、心の奥深くの静かで賢明な自分が語りかけてくる声である。
(なぜ、感謝の言葉を発すると、エゴが静まるのか)
しかし我々は、なかなか静かで賢明な自分の声に耳を傾けられない。
心が乱されている時というのは、
小さなエゴが「なぜ、こんな出来事が起こったのか!」と心の中で嘆き、
叫んでいる。
では、そうした時、どうすればよいのか?
起こった出来事を心に浮かべ、ただ「有り難うございます」と祈ることだ。
すると、不思議なほど、心の中のエゴの叫びが静まってくる。
なぜか?心と言葉は「心身一如」の関係にあるからだ。
すなわち、次の理があるからである。
・「心」が「言葉」を発するのではない
・「発した言葉」が「心」を変える
まず言葉で感謝することによって、同じ方向に心が動き、
エゴの叫びが静まっていく。
(なぜ、「生死の体験」が、人間を大成させるのか)
経営の世界では、次の格言が語られてきた。
・経営者として大成するには「3つの体験」のいずれかを
持っていなければならぬ
・「戦争」か「大病」か「投獄」か
戦前から語られてきた、この格言が意味するのは、
経営者として大成するためには、
「生死の体験」を持たねばならぬということである。
例えば、ダイエーを創業された中内功さんなど、
戦後、1つの事業を成し遂げた経営者の多くは、戦争体験をしている。
また、京セラの創業者、稲盛和夫さんは若き日に結核を患った。
そして、伊藤忠商事の会長を務めた瀬島龍三さんは、
シベリア抑留11年という投獄を味わった。
その生死の体験を通じて、これらの経営者の方々は、何を掴まれたのか?
「命あるだけ、有り難い!」
その覚悟だろう。人間、この覚悟を掴むと、強い。
いかなる逆境がやってきても、
「与えられていないもの」に対する不満よりも、
「与えられているもの」に対する感謝が心に浮かんでくる。
だが、平和な現代においては、戦争や投獄は体験できない。
だから、現代においては大病の体験が与えられた時、何を掴むか。
それが分かれ道だ。
では、その体験から、何を掴むべきなのか?
「死生観」である。すなわち、人生において死というものを、どう見つめるか。
与えられた生を、どう生きるか。その覚悟である。
(なぜ「今日が最後の1日」と思うと、才能が開花するのか)
「人間、いつ死ぬか、わからない」という人生の真実を直視し、
死生観を定めるならば、我々の中の、何かが開花し始める。
それは、「才能」だ。
そのことを教えてくれた1人の人物がいる。
彼は56歳の若さで亡くなったが、
短い人生で素晴らしい才能の開花を遂げた人物だ。
その彼の死生観は、
彼が米国のスタンフォード大学で行った伝説的スピーチの中でも、
見事に語られている。
「今日が、人生最後の日だったら、自分は、このことをやりたいと思うか。
いつも、そのことを自分に問いながら、歩んできました」
アップル・コンピュータの創業者、スティーブ・ジョブズである。
彼は、末期癌を抱えて、人生の最後の時期を歩んだわけだが、
若い頃から、「明日、人生が終わりになるとしたら」
という覚悟を持って歩んできた。
その覚悟が、彼の中から素晴らしい才能を開花させたといえるだろう。
(なぜ「死生観」を掴むと、「直観」が鋭くなるのか)
「人間、いつ死ぬか、わからない」という覚悟を定め、
「今を、生き切る」という姿勢を身につければ、逆境を越える力が湧いてくる。
そして、「直観」が鋭くなる。なぜか?
死生観を掴むと、心の中に「使命感」が生まれてくるからだ。
死生観を掴み、覚悟を定めると、
自分に与えられた命の大切さに気がつく。
そして、そのかけがえの無い命を、何に使うかを真摯に考え始める。
すなわち、次のような意識が深まる。
・この与えられた命、かけがえの無い命を素晴らしい何かのために使いたい
・己一身のためでなく世の中のために、多くの人々のために使いたい
この意識が深まっていくと、それは、自然に使命感になっていく。
なぜなら、使命と書いて「命を使う」と読む通り、
「この与えられた命を、世の中のために、多くの人々のために使いたい」
という意識は、そのまま、使命感だからである。
では、なぜ、使命感を抱くと、直観が鋭くなるのか?
「私心」が消えていくからである。「世の中のために、多くの人々のために」
という意識が深まっていくと、自分中心の発想が消えていく。
なぜ、私心が消えると、直観が鋭くなるのか?
直観については、1つの名言がある。
・「直観」は過たない 過つのは「判断」である
すなわち、ある意思決定において、最初に何かの直観が働く。
しかしその後、情報を集め、論理的に考えていくと、
最初の直観とは異なる判断が生まれてくる。
その判断に基づいて進むと、結果として、その意思決定を間違ってしまう。
仕事や人生では、そうしたことがよく起こる。
そして、その判断が過つのは多くの場合、
「こうしたら自分に有利だ」といった私心が働くからだ。
逆に、私心が消えていくと、直観が鋭くなる。
死生観を掴むと、心の中に使命感が生まれてくる。
使命感を抱くと、私心が消えていく。
私心が消えていくと、直観が鋭くなる。
それが、死生観を掴むと、直観が鋭くなる理由である。
いかがでしたか。。。
今日の本は、「人生で起こること すべて良きこと」です。
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ちなみに、運の大切さが語られていますが、
少しだけ書いておくと、最終的には、
みんなに共通している健康と言う、生きていく上での土台に繋がる話です。
ずうっと健康で、楽しく、自由に過ごしていきたい人こそ、
ぜひ参加してみて下さい。
今日もメッセージを読んでくれてありがとう!
このメッセージを読んでくれたあなたに
少しでも多くの良きことが起こりますように!
ブログでは書けない事、書きづらい事など、
また、もう少し踏み込んだ本音なども、
不定期ですが、メルマガでは書いています。
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もちろん無料です(笑)
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